恥ずかしながら、グアム旅行記1。

年末年始の行き先は、グアムでありました。「グアムに行く」と人に言うのは、
ほんま「ザ・リゾート」(謎のザ)という感じで、自分には何かこそばゆいかった。
俗物的というか享楽的というか、そういう風に見られるのでは、という不安があった。
しかしなかなかどうして。この地球、何処に行っても非常に面白く、奥深いものである。
思えば20年近く前、大学の卒業旅行で、仲間内でこの地に行こうかと計画をしたことがある。
しかし浮かれ気味の友人A(と自分も)は兎に角何をおいてもアーパーさが最優先だと主張し、
スネ夫風味の友人Bは「海を見ながらプールに入るのがステータスなんだよわかる?」と譲らず、
学究肌の友人C(と自分も少し)は「文化的、歴史的に得るものがないと価値がない」と零し、
お分かりのように、玉虫野郎蝙蝠野郎の自分は、他人に合わせようとくるくる回ってしまい。
結局話が全くまとまらず流れてしまった。今から考えると、このグアム、よくよく調べると
文化的、歴史的にも非常に複雑で。あの時行っててもCは満足したんではないかな、と思う。
B以外金がなかったので安宿に泊まったろうからBは満足しなかっただろうが。これは蛇足。
まあ歴史を文化を学び、自然と触れ合い、少しは贅沢もして、ついでに英語も練習できたら。
そいう、マルチな楽しみをもって勇躍、出かけたわけである。
これも蛇足だが、帰国後見たのであるが、今年義理の妹(弟の嫁)からもらった年賀状に、
「語学の勉強にグアムに行くそうですね」と書いてあった。なんだこの違和感と恥ずかしさは。
ついでながら少しトゲトゲがあるような気もするが気のせいか。それ以前になんでバレてるのだ。
そんな身内のイザコザ(?)はさておき。いい加減に出発する。
いつも旅のはじめというのは、旅情が漂うものである。異なるものとの出会いへの心のときめき。
また、これから頼れるのは自分の力のみ、という緊張感の高まりがある。それが今回は様子が違う。
「家族づれ、子供づれでも気がねせず安心」
「海外初めてでも、英語ができなくても大丈夫」
グアムについての観光案内やらブログやらには必ずと言っていいほど現れるコピーであるが、
今旅行で幾度となく、これらの言葉の意味を噛みしめることとなる。それは追々書こう。
ともかく時期と行き先を考えると文句を言うのは筋違いである。逆にいい経験であった。
空港に着くと、いつもならアウェー感が楽しみなところが、今回はホーム以上にホーム状態だ。
「ニマイ、ニマイ、ニマイノカミヲパスポートトイッショニオダシクダサーイ」と懇切丁寧。
三回も言わんでもわかるわい、とちょムカ(死語)。なんか「お前らどうせ英語わからんやろ」
というのが前提みたいで悔しい限りだ。俺は違うぜ、使いまくるぜ、勉強の成果を見せてやるぜ、
と、イミグレーションに満面笑みでパスポートを渡す。意気揚々と指紋を取られる(おい)。
ところが周りはさっさと通過しているのに、自分にはいつまでたってもOKが出ない。
係員がぶつぶつ言ってるのを漏れ聞くと、コンピューターがフリーズしたようだ。どこかに電話をかけ、
何やら依頼をしているが、めっさ関係ない話もゆうゆうとしている。聞こえないと思って、コノヤロウ。
悪戯心から、できるだけ流暢に彼に「こういうことはここではしょっちゅう起こるのか?」と言ったった。
「月一回、だ」
「月一回?」
「月が地球を回るように、地球が太陽を回るように、コンピューターも回っている。
 今日は月末だ、しかも年末だ。コンピューターも休息が必要だ。そして人間もだ。」
そしてにっと笑ってパスポートを返した。自分は狐につままれたような顔で、それを受け取るしかなく。
彼一流のジョークだったのか、理解ができなかった。あるいは体よくサボられていたのか…それは邪推か。
もっと気の利いたツッコミをできればよかった、まだまだだな。と、入国から敗北感を味わわされた。
しかし、これもこの旅行全体を通して言えることなんだが、自分の場合、英語の能力というより、
コミュニケーション全般の能力とセンスが問題なんだよなあ。
と、宿に落ち着き、荷物の整理などしていると、もう日が暮れてきた。夕日の中、ホテル付近を散策。
ホテルの内外はクリスマスの飾りのままで、何か面白かった。聞くと1月末までそのまま、らしい。
西洋文化では、クリスマスと正月は一緒くただ。それをきっぱり分けている日本の独自性が際立つ。
そして2012年最後の夕日…

その後、タモンの町に繰り出し、苦労して夕食を食べ(人大杉&食事が来ない&量が多い)、宿に戻る。
(長くなってきたので、詳細は省く)
時は既に、新年へのカウントダウンだ。
その瞬間、町のほうぼうから奇声が上がり、車のクラクションが鳴り響き、海岸では花火がぶち上がる。

きたない花火ですみません。やはり写真に撮るのは難しかった…
ホテルでは、日本の某国営放送を見ることができたのだが、時差の関係で日本はこの時まだ11時。
こっちの騒ぎがひと段落した頃から、サブちゃんの歌(重要)から、紅か白かの決着から、蛍の光
ゆく年くる年、ごーーん、まで楽しむことが出来た。ゆっくりしっかり観たのは久しぶりかも知れない。
「二度カウントダウンができた」というのは、なんとも、おトクな感じがした。加えて、
「すまないねえ、お先に済ませましたよ。ま、君たちも頑張ってくれたまえ」
とばかり、上から目線に先輩風を吹かせられる、というおまけもついていた。
しかしそんな我々の傲慢さを神は見逃さなかった。鉄槌は下されるのである。
我々がカウントダウンの余韻に酔いしれる中、悲劇へのもう一つのカウントダウンは始まっていたのだ。
じゃじゃじゃーん。
と、煽るだけ煽って、次回へ続く(笑)