永遠の「先生」。

先日、ヨメの大学の研究室まで、タナの搬入と組み立てに行った。
近くの美味しいラーメンを御馳走すると言われ、あっさり買収されたのだ。
で、組み立ても終わり、その店に向かおうと、複雑な校舎内を歩いていた。
と、ヨメが急に、こっちが近いし、こっち通ろうか、と突然ルートを変えた。
何かに導かれていたのかもしれない。この日自分が大学に来たことからして、そうだ。
しばらく進むと、目が見えないのであろう年配の方が、教室に入ろうとしているのが見えた。
それを目にした瞬間に、ぐっと迫るものがあった。
その方は自分の高校の時の先生であったからだ。
もともと目が見えにくかった先生は、事情あって教師を辞められたのであるが、
その後、全盲となられたそうだ。しかし思うとこあって、大学に聴講生として通い始められ、
今は博士課程まで進まれたそうだ。この大学のここ福祉系学部で、福祉の研究をされている。
で、その福祉系学部は、たまたまヨメがお世話になっているところでもある。
少し前に、先生のことが新聞記事に取り上げられてたのを、偶然目にしたので知っていた。
その時は、自分的につらい時期で、先生の記事に非常に勇気づけられたのを覚えている。
(何がつらかったのかは忘れてしまった。言うほど、たいしたつらさではなかったのだろう。)
そいう、ありがたいという気持ちとともに、先生には非常に申し訳ない気持ちでいっぱいである。
自分らが高校の時は、何も分かってなかったていうか、馬鹿というか、生意気というか。
机の空き状況で出欠を確認する(先生の目のせいだかは、わからないが)、先生の癖を利用し、
机ごとエスケープしたりしてた。また、今風に言うと教師の「格付け」みたいな文書を回したり。
思い出すにつけ、本当に、悲しいほど、恥ずかしい思いでいっぱいになる。
声をお掛けするには、だいぶと勇気が要ったが、ええい、ままよ、と。「○○先生!」と叫んだ。
先生はびっくりしたような表情で、こちらの方面を向かれた。緊張と高まる感情で、グダグダになりつつ
「突然すみません。△△と言いまして、××高校でお世話になっていた者です」と、絞り出した。
「そうですか… それは懐かしい… しかし今日ここで『先生』と呼ばれるとは思いませんでした…」
と、先生も万感溢れるご様子で、心なしか目が濡れてらっしゃったようにも見えた。
感謝とかお詫びとかも含め、お話したいことが一杯ありすぎて、胸が一杯で、口が思うように動かず、
あーだかうーだかしか言えなかった気がする。それが残念でならない。あと、目の見えない方との
意志疎通の難しさも改めて気付かされた。いかに自分らが、「見える」ことを前提に過ごしているか。
ただ、最後に「私も頑張ってますので、頑張って下さい」というお言葉とともに握手をして頂いた。
その、ひんやりとしつつも優しい手の感触は、未だに手に残っている気がする。
先生は「長らく先生と呼ばれることはなかった、今頃先生と呼ばれるとは…」と繰り返されていたが、
自分にとっては、先生は永遠に先生である。教鞭は取っておられなくとも、先生の生きざまこそが、
尊い教えではないか、という気がする。先生には遥か及ばないが、一応「先生」と呼ばれる仕事を
している者として、自分は何が教えられるのだろう、何を教えているのだろう、と深く考えさせられた。
「頑張って下さい」と言われたが、自分は一体、何を頑張ればいいのだろうか… 考えねば、と。
この日、目当てのラーメン屋は閉まっていて、ヨメはごめんねー、楽しみだったのにねえ、
と恐縮しきりだったが。この素晴らしい機会が、それを補ってあまりある「報酬」であった。