『関ヶ原』。

関ケ原(上) (新潮文庫)

関ケ原(上) (新潮文庫)

関ケ原(中) (新潮文庫)

関ケ原(中) (新潮文庫)

関ケ原(下) (新潮文庫)

関ケ原(下) (新潮文庫)

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先日の関ヶ原ウォークに触発され、購入。夢中のうちに読了。
分かり切っている「結末」に向けて着々と事態が進行する。次第に高まりゆく緊張感がよい。
時代背景と結果は違うが(いや結局は一緒か)、『忠臣蔵』に似た雰囲気がその魅力かもしれない。
宇喜多隊が東軍を蹴散らすあたりや、中山道戦線で真田家が頑張るあたりでは、「おお!?」と
一瞬夢を見させてくれる反面、「はいはいどうせ負けるんやろ」という冷めた目は常に外せない。
それにしても、終盤における西軍の迷走ぶりは相変わらずで、歯がみすることしきりであった。
児玉さんじゃないけど(華丸さん?)、「なぜカドをとらない!」と何回も叫びたくなる。
いや、負けるのわかってんだけど、腹は立つのな。これも自分の西軍愛のなせる業かと。
この点、プロ野球における阪神ファンの哲学と相通じるものがあるのではないか。
その「カドをとらなかった/とれなかった」局面局面で、もし取ってれば…と考えるのも楽しかった。
もし島津や宇喜多の策を容れて夜襲をかけてれば… 夜襲自体は失敗していたかもしらんけど、
島津の本戦でのモティベーションが段違いだったろうから、また結果も変わってたんかな…
あるいは小早川が寝返らなかったら、少なくとも動かなかったら… たらればは尽きない。
そんでもし西軍が勝ってれば、毛利、島津、伊達、上杉などが日本を分割統治したかもな。
んで、小西行長とかの影響で、キリスト教が盛んになり、鎖国もなかったかもしれない。
で早く欧州列強の支配を受けることに至ったか… いやそれでも日本人ならうまくやったか…
物語の本筋からは外れるが、例の小山評議での山内一豊のエピソードなんかでもねえ。
あれ自体は、自分はほんまに腹がたつ限りではあるが。ま偉くなるのは、こいう人だろうが。
あれやらんかったら、山内家が土佐に来ることもなかったし、長曽我部家がそのままだったかも。
で、幕末に山内容堂もおらねば、坂本竜馬さえおらなんだかもしれない。では明治維新は…
妄想は尽きない。
一本の過去の線から、無数の未来へと枝分かれする。歴史とは時間とは、そんなものかもしれない。
と、またわからんこと言ってますよこの太麵。
収拾つかない話を強引にまとめると、島左近大谷吉継、鬼島津ステガマリ最高、が結論。
ついでに、下痢と風邪には気をつけましょう、と。
この本片手に再度関ヶ原、行ってみたいな。次は、松尾山に登って東へと駆け下りたい。
また、年末の鹿児島行きも楽しみである。戦国最強と言われた薩摩軍団を産んだ地を見たい。
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<本日の言葉>
「武士とはおもしろいものだ。そこもとの寿命もどうやら今年かぎりときまったぞ」
                           大谷吉継
「望むところ… この身の果てにかような大戦さができようとは思いもよりませなんだ。
 しかも江戸の老虎を討つ義戦とあれば、ずいぶんとさわやかな死花が咲きましょう」
                           平塚孫九郎