『それでも人生にイエスと言う』。
- 作者: V.E.フランクル,山田邦男,松田美佳
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 1993/12/25
- メディア: 単行本
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難解なところ、なんとか読了。フランクル、断片的には知っていたが、
実際著書に取り組んだのは初めてだった。頭をぶんなぐられるほどの衝撃。
どことっても至言に溢れている。いろんなことに、吹っ切れる。
特に、以下の所が、今の状況から、心に響いた。少し長いが、引用する。
あ、別にそうと決まったとかでは決してないんすが。ま、そういうことも
考えとかないかんか、と。でもま、悩むことはぜんぜんいらんのや、と。
*****
「…それは、子孫を得なかった人の人生が、もしかすると、子孫を得なかった
というだけで無意味になる可能性があるのかという問題です。それに対する
答えはつぎのいずれかになるでしょう。
一、『人生、個人の生に意味がある』。
この場合、子孫を得なくても、子孫を得て自分の生命を生物学的に『永遠化』
するという方法に頼らなくても、人生にはかならず意味があるのです。ついでにいうと、
子孫を得ることで自分の生命を生物学的に『永遠化』するなどということは、
全くの幻想です。
二、『個人の生、ひとりひとりの人間の人生に意味がない』。
この場合、ただ子孫を得て人生を『永遠なもの』にしようとしても、人生が意味の
あるものになることはけっしてありえないでしょう。というのも、それ自体『無意味な』
ものを永続化しても、それ自体無意味だからです。」
*****
ま、根が屁理屈で出来ている自分であるから。理屈で言われると、すとんと腑に落ちる
部分も多いんである。騙されたような気もするが、騙され得、とでも言おうか。
なんか、すごい心の霧が晴れたような気がした。
ま、気のせいなんかもしれんけど。気の持ちようで、人生どうとでも変わる、とは
これまでさんざん学んできたはずやったのに。
何度も耳にした以下の言葉、自分の「人生の言葉」と思い、ことあるごとに触れてきたが。
偉そうなこと言ってて、常にメンテしとかんと、忘れちまうんやねえ… いかんいかん。
*****
「私たちが『生きる意味があるか』と問うのは、はじめから誤っているのです。
つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。
私たちは問われている存在なのです。
私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、『人生の問い』に
答えなければならない、答を出さなければならない存在なのです。
生きること自体、問われていることにほかなりません。」