「阪急復刻Day」に。

かの長嶋茂雄が「我が巨人軍は永久に不滅です」という、あまりにも有名なフレーズを
口にしたのは、1974年のことである。その時彼は、その言葉を微塵も疑ってなかっただろう。
今、平成のこの世、野球離れ、視聴率低下、など景気が悪い話が野球界を取り巻く。
(しかしそれが即ち「野球の衰退」を意味はしないと思う。千葉マリンスタジアムや、
札幌ドーム、福岡ドームなどの今の盛況ぶりを、昔の惨状と比べると、どこが衰退?と、
一部だけ見て衰退、とか言わんといて欲しい、と思うわけであるが。しかしそれは別の話だ。)
しかし巨人軍にしろ、その「自称ライバル」の我が軍にしろ、勝敗に一喜一憂し、負けて文句は言いつつ、
その存在自体が揺らぐなどということは、皆あまり疑っていないのではないか。
そのことがいかに幸せなことか、普段は忘れてしまっている。不可解な采配や選手起用にテレビをぶち切ったり。
出かけた先の花屋で「鉢バラ」というのを見つけると、思い出してしまって(何を)いやーな気分になったり。
またその後、電気屋に寄ったら、そこが悪いことにJoshinで、今一番見たくないものを沢山見せられたり…
それもこれも実は、全くもって幸せなことであるということを、普段は忘れてしまっている。
そのことを思い出させてくれたのが、表題の「阪急復刻Day」(正式名称失念)である。
長嶋が現役を退いた1974年の翌年から三年間、日本シリーズ三連覇を果たした最強軍団があった。
もう今では無くなってしまった、阪急ブレーブス、その球団である。
正式な球団史上は、今は「オリックス・バファローズ」の前身とされているわけではあるが。
同じ関西ながら、いや同じ関西だからこそ全くカラーの違う、もうひとつの球団とあわさってしまって、
あまり原形をとどめていない。この点、元阪急ファンは(近鉄ファンも)、元西鉄や南海のファンとは、
またベクトルの違った気持ちを抱いていることと思う。これには一野球ファンとして、心が痛む。
巨人軍が不滅だとするならば、それに対し、阪急は「三度滅んだ」と言わねばならない。
一回目は、1988年。あの球史に残る名勝負があった、10月19日に発表された、球団譲渡。
いまだに「なんでその日やねん」と思うところであるが。敢えてマスコミが少ないこの日を選んだのかも、
と、今となっては思うわけである。いやそれは妄想にすぎないが。この年に「阪急」が消えた。
次は、1991年。この年神戸移転及び「ブルーウェーブ」への改称。「ブレーブス」まで消えてしまった。
阪急とは縁もゆかりもない元巨人・土井氏を新監督に招聘するなど、脱阪急・脱西宮が徹底された。
ただ監督が仰木氏に代わり、イチローや田口が躍動した90年代半ばには、都会的でスマートで強いという、
かつての阪急の姿が復活した感があったのは、僅かな救いであった。
しかし前述の近鉄との合併、である。2004年6月13日のことだ。その時祖母が危篤で、翌日に亡くなったから、
日付まで覚えてしまっている。その発表後の、すったもんだな状況も、未だに記憶に残るところだ。
そいう風に、いろいろあった。いろいろありすぎて、阪急の延長として今オリックスを応援する人も、
そのいろいろを、ぐっと飲み込んで応援していると想像する。その数も減ってしまったのではないかと。
そして球団は、経緯から無理もないが、今まで過去に触れられることをあまり好まなかったフシがある。
しかしそんな状況じゃあ、そういう人たちの青春は、どこへ埋めてやればいいのか(杉良風←蛇足)。
確かに人により賛否はあるだろうし、いいなあ懐かしいな、と手放しでは済まないこともわかる。
でも、二つの歴史を消すのではなく、二つの素晴らしい歴史をどちらも生かすように球団にはしてほしい。
そうすれば、経緯のごたごたで傷ついた人々も、いくらかは癒される、というものではないだろか。
と個人的には思う。と、非常に前置きが長くなったが(前置きの方が長いぞ)。
今回阪急黄金期の1970年代を偲ぶイベントが、グリーンスタジアム神戸で開かれた(冠名は言わない)。
自分はテレビ観戦しかできなかったが、懐かしい選手の応援歌やらが聞けたのがよかった。
知らなかったのに、隣で散々歌われるあまり、いつしか覚えてしまった歌の数々。(そして今でも歌われる)
黄金期の70年代にトランペットはなかったぞ!とお叱りの声もあるそうだが、ま、このへんはご容赦、だ。
アナウンスも当時のウグイス嬢が再登板下さったらしく、オルガン演奏中心の効果音とともに、場を盛り上げた。
贅沢を言えば、熱狂応援のロッテファンにもすこし「遊び心」を持って欲しかったかなあ…
前のブルーウェーブ復刻の時、ヤクルトファンは付き合ってくれたのだがね。ま、それはやはり勝手な願いか。
しかし現代風アップビートのロッテ応援と、「揉み手手拍子」リズムの旧阪急応援は、いいコントラストだった。
また、せっかくの「三色ストッキング」を、今風のパンタロン式で隠してしまう選手がいたのも残念だった。
いやまそれも、やる選手は今の選手だし、無理は言えないんかな(笑)。しかし全体的にはいい雰囲気だった。
今売り出し中の「西のユウキ」こと、西投手のインタビューが笑わせる。阪急ユニフォームの感想を求められ、
「自分は生きてなかったんで、わかんないっす」と、トレードマークの満面笑みで返答。おいおい。
ずっこけた気分にはなったが、「伝統の重みを…」とか教科書通りに答えるより、彼らしくて、よかったかな。
言葉よりも、投げっぷりだ。見る人が、彼の中に、米田哲也を見れば、それでいいのかもしれない。
以上、阪神ファンの自分が、こんなわかった風なこと書いたらいかんのかもしらんけど。
昔ずーっとええなあ、と思いつつ、道義的に自分が行くわけにはいかんかった「友達のカノジョ」。
その思い出話、ということで、ご容赦。
*****
<本日の言葉>
前も他の部分を引用した、上田監督・阪急最後の日のスピーチより。
「…しかし、ブレーブスは、阪急のものでもありません。また、オリックスのものでもないと思います。
 ここにおられる…ここにいらっしゃいます、ファンの皆様がた一人一人のブレーブスだと思います。
 そしてまた、私たち選手一人一人のブレーブスだと思っております。
 皆さま方がいる限り、ブレーブスは、永遠に生き続けます…」