オサマ・ビンラディン殺害。

「百戦百勝は善の善なるものにあらず。
 戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。」 『孫子
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これって、やっぱり東洋人的な発想なのかねえ…
満面スマイルで雄弁に自らの「偉業」を語る大統領を見て、つくづく思った。
比べるのもあれやけど、自分やったら「生け捕りにできなくて、残念でした…」て
沈痛な気持ちになる思うけどなあ。できなかったのか、いやむしろ敢えてしなかったのか。
生け捕りにしたら、救出に来たりしてややこしいから、という判断もあるんだろうけど。
また、生かしとくと公の場でいろいろしゃべられてウザいから、ということもあるんだろか、
と勘繰りたくもなる。フセインの時も思ったけど、あまりの「仕事の速さ」には驚くばかりだ。
つうか、これはあくまで妄想なんやけど、もうさっさと水葬してしまった以上、
本当に殺害したのかすら、もう今となってはわからんのやけどねえ… 昨日の本にも書いとったし、
職場でもそういう局面があったのでよくわかるが、「ない」「いない」つうことを証明するのは難しい。
やっつけた、勝った、で喜ぶのもええんやろけど、こういう、いろんなことを考えると、
特に、誰がビンラディンを育てたんか、いうことを考えると、喜んでる場合なんかな、と思うけど。
自分がひねくれてるだけかもしれんが。
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今回のことで、再び、「あの日」のことを思い出した。当日記を長らくお読みの方はご存知だろうが。
もう消えてしまった、前の日記サイトに書いてたことである。自分はあの年の9月一か月を海外で過ごしていた。
9月1日にはNYを訪れ、WTCにも登った。その時は十日後にあんなことになるとは、微塵も思ってなかった。
いわゆる9.11の時は、南米コロンビアにいた。雑貨屋のオッサンの話をヨメが聞いたのを、また聞きした。
それが「第一報」だった。「アメリカの双子の塔?えらいことになってるって。日本がからんでそうだって…」
それを聞いて、早鐘のように心臓が鳴ったのを覚えている。結局はオッサン情報は一部誤報ではあったのだが。
無理もなくって、その日テレビのニュースでは、何度も何度も何度も、日本の「カミカゼ攻撃」の映像が流れてた。
あ、なんだかんだで、他所からはこういう風にも見られとるんか、とその時認識を新たにした気がする。
月末にアメリカ経由で帰国する頃には、ビンラディンその人の顔が、テレビや新聞に毎日のように出ていた。
その時は、始末がつくまで、その後十年かかるとは、思ってもみなかった。結末が殺害である、ということも。
そして彼が「犯人」であるとして、そのとてつもない「犯行」の動機もその時以来の疑問であった。
それも今となっては、わからずじまいである。
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<本日の言葉>
「湖に浮かべたボートをこぐように 人は後ろ向きに未来へ入っていく
目に映るのは過去の風景ばかり 明日の景色は誰も知らない」
                 ポール・ヴァレリー