小谷城ふるさと祭り。

日曜にドライブがてら、滋賀県湖北町小谷城を訪れた。
小谷城は言わずと知れた、浅井長政お市の方との悲話の舞台である。
近畿はやはり歴史の宝庫である。近いがためにその幸運を忘れそうになる。
えらそうなこというてるが、小谷(おだに)城、浅井(あざい)長政、
という読みを知ったのは最近である。日本語、ホント、ムズカシイーネ。
そういえば、途中米原ジャンクションと米原インターとを通過したのだが、
「Maihara」となっていることに、目を疑った。「Maibara」の間違いやろー。
調べてみると、昔の正確な地名は米原(まいはら)町だったそうですな。
ただ、省線(現JR)の駅名は何故か「まいばら」ということになってしまった。
この、正式地名と省線の駅名が異なるいうことは結構あるのではないか。
「三ノ宮」「西ノ宮」なんかもそうかなあ。と、話がヨレそうになるのを抑え。
で、全国的には「まいばら」の方が有名になってしまい、かの平成の大合併の時
あわせて米原(まいばら)市に読みかえることと相成った、と。
ただ、米原市中の旧米原町域の現在の地名は、まいばら市まいはら町、と
ややこしい状態に。どっちかにせえや、と言いたくなるが、そうもいかんらしい。
この話で思い出したぞ。中学の同級生にウシシマ君(仮名)という子がいた。
で、学校一厳しいとされていた数学のマエカワ先生(これも仮名)の授業でのこと。
「次、ウシジマ、答えてみい」といつものようにキレ気味な先生。
「ウシシマです」、と返すウシシマ君には矜持があったろう。それを踏みにじる先生。
「そんなんどうでもええやろ、お前やいうのがわかったらええんや」
今から思うと、マエカワ先生、ひどすぎではないか。たかが濁点、されど濁点だ。
点のひとつひとつに歴史の重みがある。しかもその点が二つもあるのだから、と。
いつまでたっても小谷城が出てこおへんので、もう強引に山上に上がります。

小谷山から、虎御前山、さらに琵琶湖を望む。虎御前山の山上には、かの織田信長
砦を築き、小谷城攻めの時は、信長はじめ、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)、柴田勝家
滝川一益らソウソウたる面々が陣取ったということだ。

小谷城本丸跡。石垣のみが往時を物語る。しかし、この山上にして結構広いな。
名古屋の清洲城跡も行ったことがあるが、あそこは「え?こんなに狭いの?」だったが。
そこからも、浅井氏の栄華が偲ばれる。

この日は「小谷城ふるさと祭り」が開催されていた。来年の大河ドラマで、
この地に生まれ育った「浅井三姉妹」が取り上げられるということもあり、
大いに盛り上がっていた。地元の人が武者や姫に扮し、大活躍であった。
茶々姫(のちの淀殿)役の人だけは女優さんだそう。そいや、ぱっと目をひく。

左から、江、初、茶々の浅井三姉妹ゆるキャラのメッカ、滋賀だけのことはある。
しかし、「せんとくん」と違わず、このキャラも多少のいわくあり、である。
こっちは町が作ったキャラなのだが、県は県で違うキャラを作ってしまって…と。ありがち。
現在「六姉妹」の状態になっている、と。今も昔も運命に翻弄される、三姉妹であるよ。

プレゼントタイム。砲をぶっぱなす武者連中。
「さあさあ、周りの者を押しのけてでも取るがよいーーー」 と煽る武者。
いいんかいな(笑)
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手作り感があって非常に楽しい祭りだった。あと写真は撮れなかったが、「近江牛串」
とろけるほど柔らかくうまかった(食べるのに夢中で写真を忘れた)。また来たい。
滅ぼされたのに、そして言葉は悪いがマイナーなのに、これだけ崇め奉られている武将も
少ないのではないか、と。浅井(あざい)長政。もう間違えないぞ、と。
蛇足ながら、阪神の選手は浅井(あさい)やな。
む・・・ 嫌なことを思い出してしまったではないか(墓穴)