十牛図。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%89%9B%E5%9B%B3
禅関係の本を読んでいると、必ず出てくるのが、この十牛図である。
禅における悟りに至るプロセスを十段階に分け、絵で示したものであるとか。
全くずぶの素人で、修行のシュの字とも縁のない私がこれを取り上げるのも
全くおこがましい限りなのだが。自分なりの非常にレベルの低い解釈を
ほどこすと、こんなところか。凡人の凡人なりの解釈ということで御容赦。
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一、牛って一体どこにいるんだろう…
二、牛の足跡だ、もしかしてこっちかなあ…
三、やや牛め、みつけたぞ、こっちか!!!
四、さあ牛、つかまえたぞ、お前は俺のものだ!!!
五、どうどう、牛さん牛さん、仲良くしましょうね…
六、それでは牛さん、一緒におうちに帰りましょう…
七、あれ、俺、一体一生懸命何してたんだっけ…
八、ここはどこ… 俺は誰… あんたどなたはんどしたかなあ…
九、今日も元気だ、ごはんがうまい!
十、さあ皆さんも御一緒に。
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一見、物忘れの度が過ぎたお父さんのようで、全く失礼の至り。
本当にこの十牛図には様々な解釈があり、いや、解釈することすら野暮だ、
という解釈もあるぐらいだが。サイト巡っているといろいろあって。
「目的と一体になれるぐらいの目的を見つけなくてはだめですよ。」とか、
「それぐらいにならないとだめですよ。修行は大変なんですよ。」とか、
今の時代にふさわしい自己啓発型な解釈も散見される。それも一理あろう。
でも、そうかなあ。それでは行ってて第七段階までじゃないんかな。
大事なのは八段階以降ではないんかな。八、九、十、の境地に達するなら、
実は「牛」は何だっていいのんではないか。今のギスギスした世てのも
一で止まってる人、四くらいまで行って行った気になっている人が
多いのが原因ではないんかな、と。いやわからん。
「牛」を探す努力すらしていない自分に対する弁護なんかもしれんけど。
「牛」を信じて九、十の気持ちで今を生きることが大事ではないんか、と。
これが簡単そうで実に難しい。八は結構得意かもしれんが(笑えんよ)
いやはや、男ムーラン40前、まだまだ修行が足らん。