Purified。

同窓会、出席してきた。なんだかんだ言っていたが、
出席して本当に良かった。心からそう思う。
今までの自分の一生も、この一瞬のためにあった、
とまで言ったら言いすぎかもだが。そういうひと時のひとつだった。
それは確かにそうかもしれない。
悪い喩えだが、亡くなった人の思い出は、時のフィルターを通ると、
いい思い出ばかりが後に残ると言うが。それに似ているかもしれない。
いやなんか、こんないい思い出ばっかりだったのか?という錯覚に陥る。
そういう錯覚ならばそれは嬉しい錯覚だ。
いいんだぜ、いいんだぜ、君が喧嘩相手でも、ガリ勉君でも、いいんだぜー
と旋律が脳内をコダマするようだ。ま、そういうのの悪い面もあんだろけど。
とりあえず当日に限っては、そのいい面しか見えなかった。
シャッフルタイム後に、隣に座った女性が、ほんま面白い偶然というか、
前に書いた「質素な弁当やね」発言の人だったのには苦笑した。さすがに
そんな話はできなかったが、これも運命の楽しい悪戯であったのだろう。
また、これも前に書いてた、今の自分を受け入れ新しい自分を云々、に関しても、
いい結果が得られたかも。今まで意識せずともどこか、コソコソ生きてる感じが
自分の中にあったのかも知れないが。あれだけ気持ちよく自分の来し方を
カミングアウトすれば、何もかも吹っ飛んでしまった。ありのままの自分を
さらけ出し、ヒネた自分に別れを告げた。未来に向かい真っ直ぐ頑張っていこう。
そういう気になれた気がする。
そして時は来た。20数年の時を超えて、伝えることの出来なかった「ありがとう」
の一言を伝えることも出来た。自己満足と言われればそれまでやろうけど、
この世に思い残すことがひとつ減った気がする。大袈裟な言い方だけど。
え?何のことかわからない?ごめん。それは言えないんですよ(笑)
この日記の奥底のどっかに書いてるかもしれないので、気になる人は、
全部読んでみて下さい(量大杉やろ)
あまりに気持ちよく、にへらにへらと帰ってきてしまったので、「調子乗るな」
と神様が冷や水を浴びせたのだろう。帰宅し風呂から上がって、またグラスを
手に取ったまでは覚えているのだが。次の瞬間は、「あんた何やってんの!」
と怒鳴る嫁の声で起きた時だった。グラス片手にソファで完オチのうえに、
テレビでは変な映画が映っていた、と。「いや、そんなに、ほとんど見てないんだ」と
ドロドロの表情で苦しい言い訳をしていたよ、とは翌朝半笑いのヨメ談。
ムーランルージュ37歳。そんなとこまでさらけ出してどうする。
いやはや、思い出は浄化できても、性格まではなかなか浄化できないようで。とほほ。
一生言われそう。