モスラや、モスラ。

新居には、本当にささやかながら、庭らしきものがある。
狭い中工夫し、ヨメがせっせとガーデニング活動にいそしんでいる。
自分には、当初ム・コーナーとして一角が与えられ、さて何をしようか。
椎茸栽培かカブトムシの養殖か、と思案していたところ、愚図っている間に、
問答無用でなんだかの苗木を植えられ、ム・コーナーは哀れ幻と消えた。残念。
まそれは別の話として。今夏シーズンの我が家の目玉は、アサガオとゴーヤだった。
家の前に絡むアサガオは、花咲き乱れ、我が家のシンボルと…
ゴーヤは一瞬の涼を与え、たわわと成る実を集め、ゴーヤ祭りを…
のはずだったが、どうしたことかゴーヤは涼をとるほど茂らず、実もならず。
アサガオも全く花が咲かず、非常に残念だった。
花も実もないのは、我が人生だけで充分であるよ。と毎度の自虐。
花がつかないアサガオの替わりに、我が家のシンボルとなったのは、
アサガオについた茶色の巨大イモムシであった。これほんま、「モスラ」て感じで、
今までの、自分の中のイモムシの概念を変えるほどのインパクトがあった。
あ、嫌いな人ほんま済みません。画像はさすがに出しませんでしたが。
嫌いな人は「イモムシ」という文字見るだけでダメなのかもしれない。
ただ、庭には時々、黒い立派なアゲハチョウが覗きに訪れる。今はみにくいイモムシだが、
あれが将来の姿なのかと思い。「みにくいアヒルの子」の話もあることだし、と放置。
ところが、やはり気になって調べてみると、ああ、これかいな。
「エビガラスズメ」という蛾の一種でまず間違いないだろう。おおそうか。
で、早速駆除の検討がなされるところだが。蝶に育つからいいイモムシ、
蛾に育つから悪いイモムシ、てのも何なのかな、と根源的問いに苦しむものである。
みにくいアヒルの子は成長してもみにくいままでした」とは。世の不条理。
その不条理と闘いたい気持ちがフツフツと沸くが。やはり、きもい。
蝶になろうが蛾になろうが、葉っぱを食うイモムシがいいイモムシだ。
とわからないことを言ったところで決心はつかない。いやしかし、どないしまひょ。
あ、ついで。「モスラの歌」て「六甲颪」の古関裕而さんの作曲だったのね。
今回はじめて知って感動した。なんかまた異様な親しみを覚えたぞ。
そう考えると、また心は揺らぎ、イモムシ駆除をためらってしまう…
でも、古関氏は「闘魂こめて」も作ってはることだしねえ…
じゃあ即、駆除だな。とまた減らず口を。
おお、ちなみに庭の別の箇所には、「黒とオレンジのイモムシ」も発生。
これもどうしようかとねえ。うりゃうりゃといたぶって遊ぶのも悪くないが、
その図を自分で想像すると悲しいしね。せっかくだから(どういう繋がり)
優勝記念として、巨人ファンの友人に贈呈するのもよし(嫌がらせ、ともいう)
おお、長話が過ぎた。
これ以上イモムシと書くと、失神する人もでるかもなので、これにて失礼。