生まれ変わる聖地/幻の阪神宝塚線。




(1)(2)球場全景。芝生が素晴らしい。阪神園芸はネ申。
(3)妄想時刻表。見づらくてすみません(見る人いるのか)
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と、いうわけで(どこから繋がる)、行って参りました。
去年の内野改装後から訪れたのは始めてだったので、あまりの変貌ぶりにびびった。
あ、それは正確ではないか。去年の秋、観に行くはずだったのが途上で雨天中止がわかり、
悔しいので球場前まで行ったことがあったか。あーそういやあれから… と悪夢が蘇り。
このままほおっておくと、果てしなく落ち込んでいくので、慌てて話をもとに戻すと。
正確には、始めて中に入った、ということか。まずは内野のチケを買い、「外野はタダ」の
高校野球特別ルールを活かし、内野に入る前に外野を一巡りし全球場を探検。一瞬思ったのは、
あれ?少し低くなった?少し小さくなった?ということ。が、実際のデータがわからんので
なんとも言えない。それに対して、銀傘は巨大に生まれ変わり。長大な帯状掲示板とともに、
現代技術の粋だ、とプチ感動。照明や銀傘の柱がなくなったこと、また席の色が全部緑に
統一されたことで、昔いささか存在した野暮ったさがなくなり、スマートな仕上がりになっている。
それでいて、昔の重厚かつ神聖な雰囲気も残しつつ。よくぞここまでうまく…と感嘆した。
反面、屋内の飲食店等の雰囲気は大分変わった気がする。昔の甲子園といえば、煙くささ、
即ち焼き鳥と煙草の煙。それが象徴的な存在であった。そのニオイは果てしなき郷愁をかき立てたもの。
またその煙は、外野の守りを妨げるほどであった。焼き鳥なあ、亡くなった先輩がいつも食ってたなあ。
今は、空調技術が発達したのか、焼き鳥の煙が充満することもなく。また、喫煙者は「透明なオリ」に
押し込まれていたので、全く煙草の煙も存在せず。非喫煙者としては、ありがたいことなのだろうが、
私は「裏切り者」であるので、少し喫煙者が不憫である気もする。変わって今空間を占拠しているのは、
「新しいビルのニオイ」と「ケンタッキー臭」である。嗅覚は、脳の記憶を司る部分と近いというが、
この新しいニオイが紡ぎだすであろう記憶は、今までと少し変わってくるのではないか、という気もする。
出店のメニューも変わった。「赤星ラーメン」に「下柳の五島うどん」、「誠の冷やしつけ麺」、
「球児のカツオタタキステーキ丼」うんぬん、と。伝統のカレーが生存しているのは救いではあるが、
普通にうどん、ラーメンでええやん、という陰の声は、まばゆい電飾の光にかき消されている感がある。
まあ、どだろ。「焼き鳥に熱燗」が似合う球場から、「ナチョスにコーラ」が似合う球場へと路線を
変えようとしていると。これも時代の流れなんかな。あるいは、ここにも「阪急」が効いてるんかもな。
また、場内についても少し注文が。開放感を増すためだろか、内外野とも最上段の壁を抜いてあるのだ。
ここからびゅうびゅう風が吹き込んできて、すごく寒かった。夏はすずしいんかもしれないけれど。
春のナイターには冬装備が必要、とみた。また、壁を抜いているがために、外の喧騒がまる聞こえなのだ。
車のクラクションに、交通整理の笛の音が、場内のブラスバンドに割り込んでくる。やっぱ野球場は
「非日常」を提供するものであってほしい。開放的に気軽に行楽できるものにしたい、というのはわかるが、
映画の最中に「たけやーさおだけー」が聞こえるようなもんで、興ざめなことこのうえない。
車は仕方ないかもしれないが、交通整理は関係者のやっていることだろから、再考の余地があるのでは。
あと、確かに柱の数は減ったが、その分、残った柱は巨大になり。丁度貴賓席の下あたりはその影響を受けるぞ。
そしておそらく、柱以外の何ものも見えない「どないせえっちゅうねん」という席も実はあるぞ。
この席売ったらいかんやろう。実際どうしているのか。内野の29段目以降は要注意、であるよ、と豆情報。
しかし全体的な雰囲気としてはやはり素晴らしきボールパークに仕上がっているよ、とフォローになってるのか。
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帰りはさすがに阪神なんば線は使わなかった。かわりといっては何だが、前々から気になっていたバスを利用した。
阪神バスの宝塚―尼崎方面線である。前にも書いたかもしれないが、「阪急の聖地」ともいうべき宝塚に
場違いに存在する阪神バスの路線。これぞ、幻の「阪神宝塚線」の忘れ形見なのである。阪神と阪急、
関西私鉄の両雄は、かつて血を血で洗う争いを繰り広げていた。今津線をはじめとする阪急の南北路線に対抗し、
阪神は「宝塚を奪え」とのトップの号令下、尼崎から国道二号線に沿って西進し、西大島で北上、
さらに阪急の住宅地・武庫之荘をかすめ、時友・昆陽・西野・安倉と尼崎北部および伊丹西部・宝塚南部を走り、
最終的には武庫川左岸から宝塚へ。壮大な野望を抱いた。用地買収からさらに、路盤工事までほぼ終わった区間もあった。
しかし、免許の関係および経営方針その他の諸事情により、この路盤にレールが敷かれることは、ついになかった。
阪神と阪急が合併してしまった今、そして社会が成熟した今、この計画が再び浮上することはないと言っていい。
その路盤の名残こそ、今の兵庫県道42号・尼崎宝塚線、通称「尼宝線」なわけである。もともと阪神バス
走らせるために整備された道路であり、戦前はなんと有料道路だったとか。てなわけで、この道路に阪神バス
走っているのは、実は当たり前なわけである。で、尼宝線がところどころ広くなってるのは、その昔
駅ができるはずだった場所であるとかないとか。と、なんとものすごく局地的に感動を呼ぶ話ではないか(笑)。
路線は感動だったが、とりあえず時間かかるな。1時間立ちっぱは正直つらかった。たぶん今後使うことはあまりない。
また、混雑するバスは非常にストレスフルである。混雑のストレスというより、周りの人々が、ね。
中はスカスカやのに、入り口に人が塊り乗れない人が出る。「もう一歩奥に詰めてください〜」と運転手が連呼する。
しかし「聞いちゃいねえ」という人が大杉。みんな自分の世界に浸りきってるのか。一回声出してしまった。
また、平日の球場帰り、という状況から、おじいさんと子供が非常に多かったのだが、座る子供に立つおじいさんの
コントラストが目についた。しかし最近のおじいさんは優しいのなあ。おそらく自分の孫をつれた老紳士がいて、
前の席がひとつ開いたとき、「○○くん、ここすわりー」、と孫をすわらせてあげてた。孫は何の疑問もなく座った。
ま、昭和の遺物である頭の固いジジイには理解できない光景ではある。私に孫がいたならば、何の疑問もなく、
私が座ると思うが(笑)。またそういうもんだ、と育ってきた。稀少なものに価値がある、という観点からすれば、
昔は子供の方が老人より多かったから、老人が大事にされた、と。今は逆だから、逆になっているということだろか。
幻の鉄路の上を、ガタゴト揺れて進む車内は、今の平成の世の縮図のように思えて仕方がなかった。
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<本日の言葉>
「昭和顔」



今、何かと世間を騒がせているキーワードではあるが。昭和の時代には、「明治男」という言葉はあっても、
「明治顔」という言葉はなかった気がする。そんだけビジュアル重視の、今の平成の世なのであろうか。
しかし昔は球児の生の声がブログに上がる、なんてことも想像できなかったからねえ…