コレラの時代の愛。

最初ヨメにその題名を聞いた時は、「これらの時代の愛」と頭に浮かび。
おー、ベタな恋愛映画かいな、ヨメが行きたがる映画にしてはめずらしい(失礼)
と思ってしまっていたが。ひらがなとカタカナでは大違いである。
こうなると、ぐっと、果たしてどんな映画なんだろうか、と引きつけられる。
題名て本当に重要だ。どないな邦題やねん、てゆう映画もたまにあるけど。
最寄り駅ムーラン神駅のひとつ隣、ムーラン神社駅前の(徒歩で行ける)商業ビルに
ちんまい映画館があるのだが。仮にシネ・ムーランとでも言おうか。(なんか怖い)
ほんま外観は田舎のなんでもない映画館という風情なので、正直馬鹿にしていた。
どうせ「○映まんが祭り」ぐらいしかやってないんじゃないか、つまらん、とか、
三流エッチ映画をたまにやるくらいなんじゃないか、なら行ってもいいかな、とか(おい)
が、それは大きな間違いであった。なかなかどうして、シネ・ムーラン。侮れない。
上映スケジュールを見てみると、なかなか選択がしぶいのだ。そのひとつが、表記の映画。
夫婦して、師と言われる資格はないんだろけど、とりあえず走りに走っている多忙な年の瀬。
そんな中、ちょっとはクリスマスらしいことをしようかと。行ってきた。しかしコレラかよ(笑)
時はまさに世紀末(19世紀の)。南米コロンビアの港町、カルタヘナが舞台。
コレラの蔓延。内戦の勃発。命があまりにも軽い時代。(その内戦が今まで続いているのは皮肉)
そんな中、永遠の愛を貫く男がいた。と、おー、文字にするとなんと陳腐な。
しかしま、ご覧になった方はわかると思うが、正直、面白かった。
なんせ、この私が寝なかったのが何よりのバロミター。
そこで、「ハダカがいっぱい出てきたからじゃないのー」とヨメから強烈なフックが飛ぶ。
ヨメよ。そこに座りなさい(何処に)。私がエッチ映画を観るのはエッチを求めてのことでは
あるようであるがないようでないのだ、てお前は何を言っているのだ。
なんかこう、なんつうの? 俺が作りたいのはこんなもんじゃないんだ!、つう鬱積のパワーつうか。
そんな中で、じゃあやりたいようにやってやろうじゃないか!、てゆうヤケクソ気味の意地というか。
それがよい。あるいは逆に、小学校のお楽しみ会レベルの、アリエネーて感じの演出・演技も存在し、
そういうものには「わびさび」すら覚える。それを求めて私は観るのであるよ。
その高尚かつ尊い理念をわかってもらえないのは非常に残念だ。(何を偉そうに)
こほん。話が毎度の如くヨレて仕方ない。失礼。
で、じゃ、僭越ながら映画の論評など。
いや、エッチ部分抜きにしても、よかったんじゃないかな。テンポといい。ストーリーといい。
これぞガルシアマルケスの世界、というものを堪能した。『百年の孤独』と似たような感じかなあ。
後味はだいぶん違うけど。根底に流れるものは、同じなのかもしれない。
百年の孤独』を一回読んだくらいでガルシアマルケスを語るな、と怒られるかもしれないが。
他のも読んでみたくなったなー。そんでまた、コロンビア行きたいなー。今度はカルタヘナも。
人生は結果に至るプロセスである。結果がよければプロセスは全肯定されるし、結果が悪ければその逆。
しかしその結果つうのは、イエスかノーか、プラスかマイナスか、100かゼロか、極めてデジタルなものだ。
プロセスを経ている間は、結果がわからないから不安なわけだが、要するに、かくもデジタルなものに
振り回されているというわけである。イエスだと、プラスだと信じつつ、「今」に没入できれば、
それが一番幸せなことなのではないかと。そして信じたまま、結果を知らぬまま終わってしまうのも
ある意味幸せなことかもしれない。それが恋愛というものなのかどうかはわからないが。
あ、「結果」はまだ見ていない方もいるだろから、言いませんが。お楽しみに。
そうか、ネタバレを注意せないかんな。注意しつつ、ニュートラルな(?)論評を続ける。
しかしまあ、なんですな。「一途な恋」と「ストーカー」は紙一重なんだなあ、ということと。
「心を揺さぶる恋文」と「イタい手紙」は紙一重なんだなあ、ということ。む。むむむ。
おーあー、なんだこの胸から突き上げるイタい感じは。ま、青春だな。青い春、とはよういうたもの。
あと関係ないが、「恋敵の医者」は、どう見ても「林先生」にしか見えなかったのだが。
あ、すいません。関西以外の方は大丈夫でしょが。関西の方で、今度この映画見る方にはもう絶対、
「林先生」にしか見えなくなることに決定しました。悪影響、申し訳ございません(なら書くな、と)
さらに関係ないが、舞台設定・配役の見事さもある。実際コロンビアで撮影され(てるとヨメが言ってた)
南米で活躍する俳優が数々登場。リキが入っていた。そして、ヒーローもヒロインも魅力的なんだが、
もう一人(?)の主人公はやはり「コレラ」である。その一本の筋の通し方は見事だった。
また、映画には映らないはずの「におい」をうまく使っていた。演出の妙は絶賛に値する。
反面、ヨメも言っていたとおり、ここまで本格的にやるんなら、スペイン語でやってほしかった、と。
能力のある俳優が、慣れない英語でやるセリフ回し。非常にもったいない。このために、
どうも「学芸会くささ」が出てしまっている。いろんな「大人の事情」があったのだろうか。
あるいは、敢えて、仰々しさとテンポ良さを強調するためのことだったのか。それにしても、だ。
最後になるが、おっと。ここからはネタバレの可能性があるので、
見たいと思ってた方はスクロールしないようにしてください。
その前に先にこれ、やっときます。
*******
 
本日の言葉:
「遊戯三昧」(ゆげざんまい)
―遊びまくって仕事ができないこと。
 ではなくって、禅のことばで「今」に最大限没入し楽しみつくしている状態のこと。
 当日記の題名にしようかと思ったことも、ちょっとだけあるが(笑)
 
*******
すいません、それでは以下ネタバレの最終感想。
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
最後のあれは、特殊メイクなんでしょうか?それともクロマキー合成かなんかでしょうか?
つうか、最初のあれの方が合成だ、という可能性もあるのか(笑) て何の話だか。
いっぱいいっぱいあれがでてきたが、私的には、「白い鳩の人」のあれが一番よいなー。
て、お前結局そこで話終わるんかよ。