悩む力。

悩む力 (集英社新書 444C)

悩む力 (集英社新書 444C)

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これ以上何を悩むのだ、というツッコミもあろうが(苦笑)
どうしてもこういう本に手が伸びていってしまう。とほ。
近代日本の誇る大小説家にして、コンプレックスと孤高の人夏目漱石
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、M・ウェーバー
二人の偉人を中心に、古今東西の賢者の言葉を引き、現代社会の闇に向かう。
古今東西ぃ、皆が名前だけ知ってて読んでない本の名前ぇ、いえぃー。
ぽんぽん『資本論』、ぽんぽん『小説真髄』、ぽんぽん『東海道中膝栗毛』、
ぽんぽん『プロテス…』      こほん。失礼。
おおー、『プロ倫』かあ、懐かしいなあ。二頁目から読んでねえけどな。
(自分の場合、そういう本多すぎ)
かつて社会学を志し(そうだったのか?)、『プロ倫』すら読んでないとは。
ださすぎる。しかし今回名前を再び聞き、再び興味が湧いてきた気がするぞ。
岐阜県にお住まいのペンネーム、食パン男さ〜ん、見てますか〜。
ご覧なってたら、かいつまんでご教示くださ〜い(自分で読めよ)
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さて、話がよれまくって収拾がつかないので、強引に切り替える。
カン先生は(漢字が出ない)テレビで出てくるコメンテーターの中では結構好きで、
静かに燃える炎、という感じに敬服していたのであるが。
カン先生、漱石ウェーバー、みんな悩んでいるのだ。それがわかっただけでも
この本を読んだ価値はあったのではないか、と夏休みの読書感想文的な感想を。
推理小説もクイズも、あーでもないこーでもないと考えることに価値がある。
答えがわかったら、その時点で終了。早く答えが出せることもひとつの能力だが、
いかに楽しむか、果てはいかにボケるか、というのもアプローチではないかと。
これって、自己弁護すかねえ(苦笑)
章立ては、経済・社会・宗教・恋愛・等々多岐にわたっているが、その中で
心に残った部分はこんなところ。以下抜粋しておく。(御茶を濁しておく、ともいう)
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「『精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のもの(ニヒツ)は、
 人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう』」
「意識していようといまいと、人は信ずるところのものから、ものごとの意味を
 供給されます。意味をつかめていないと、人は生きていけません。」
「人の愛し方などという法則はなく、チェスの勝負と同じような、あらかじめこれと
 きまった手順もありません。そのときそのときの配置を見ながら、最良と思える
 手を打っていく。それと同じように、相手から一つ一つ投げかけられる問いに、
 一つ一つ応えていく。そして最終的に相手に対して遂行的になる意欲がまったく
 なくなったときに、愛は終わるのではないでしょうか。」
「単純に『死んではいけない』とは、私には言えません。でも『人とのつながり方を
 考えてほしい』とは言いたいのです。つながるためにはどうしたらいいか考えて、
 その意味を確信できたとき、たぶん『生』も『死』も両方、同時に重みを取り戻す
 のではないかと思うのです。そう信じたいのです。」
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また漱石も読みたくなってきたなー。とりあえず『吾輩は猫である』から(笑)
しかし、この一番簡単そうで一番有名なのが、実は一番難しい、というのは
中学校の国語の先生から教わった話。「難しい」ていうことがわかっただけでも
たいしたもんだ、と。それは、万事にあてはまることなのかもしれないね。