そして村松。

オリックスバファローズはかつて阪急ブレーブスという球団だった。
その阪急ブレーブスの最後の試合は、既に引退を表明していた大エース・
山田久志投手の事実上の引退試合でもあった。
その試合後の上田監督の挨拶で、その言葉は飛び出した。
「今日去り行く山田、そして福本・・・」
!
世界の盗塁王・福本の引退、その大ニュースに報道陣は色めきたった。
しかし、それは、本人すら知らない新情報であった。
形容詞の掛け方の難しさというか。上田監督としては、
「去り行く山田、そして(残る)福本」と言うつもりであったらしいが。
この間違いというか誤解というかが、思わぬ結果を生んでしまった。
当の福本、「言ってもうたもんはしゃあない、やめますわ」と
あっさりユニフォームを脱いでしまった、と。数多くの福本伝説のうち
最強の部類に入る話である。
と、
似たような状況になってしまった。
前にも書いたように、週一回、気休め程度に近所に英語を習いに行ってる。
平日の昼、有閑マダムに混じって、異彩を放っていた次第。
奥様ランチにご一緒させて頂いたり、異文化交流という点では楽しかった。
そのリーダー格の奥様に言われた。
「ムラマツさん、今度引っ越されるんですって」
この奥様、なぜか私を「ムラマツ」とインプットしたらしく、会食の
記念撮影の写真をくれる封筒に「村松さん」と大書してくれたり。
おいおい、俺は人工芝だと足に負担がかかって選手生命に影響するから
土のグラウンドを求めてオリックスに移籍したが、神戸での試合が減って
大阪ドームが本拠となり、あてが外れてしまった選手かえ!!!
と長いツッコミが彼女に通用するはずもなく。
訂正するのが面倒くさいので、そのままにしていた。
「はい、引越し、ええ、そうなんですよ」
「じゃあ、この3月で冬学期が終わったらお別れですね〜、寂しくなるわ〜」
うーーーん。
冬学期は3月まで、4月から7月まで春学期。引越しは5月末くらいか。
本来は学期毎の一括払いなのだが、無理を言って月割りにしてもらって、
少しだけ続けてみようか・・・とも内心思っていたのだが。
奥様にいきなり引導を渡されてしまい。
「何年になりますかね〜、長いようで短かったですね〜、懐かしいですね〜」
と、思い出モードに入られてしまい。
ま、いっか。そない言うんやったら。と。
「いやいや、こちらこそお世話になりっぱなしで・・・」
車輪は動き始めてしまった。ムラマツさん、呼べども帰らぬその名。
てゆうかムラマツて誰やねん。