帰郷。

また間があいてしまったが。
母方実家の祖母が亡くなり,会葬のため九州に行って来た。
私にとっては15年ぶりの「里帰り」であったわけだが。
実家は沿岸の漁村で。行政上も今時珍しく文字通り「ムラ」であった。
この「であった」というのは,過去形でも伝聞形でもなく,
現在完了系である。この三月にて,かの「平成の大合併」により
「ムラ」は消えたのだ。と言うと場所が特定されてしまいそうだが。
ともかく,祖母の葬式は「ムラ」最後の葬式となった。
不謹慎な言い方かもしれないが,非常に感慨深いものがある。
「ムラ最後の日」に私が見た光景は,私にとっては摩訶不思議なもの
ばかりで,全てが新しかった。いちいちをここであげるとキリがないので
非常に抽象的な書き方をしてしまうが。なんていうんだろ。
時計が止まっているのかと思うくらい,時間がゆっくり流れていたこと。
都会で10年過ごしても足りないくらい,多数の人と話をしたこと。
この二つに凝縮されているような気がする。都会人が全く忘れている
二つのものかもしれない。たしかに都会は刺激に満ちている。
その刺激が時計を早めるのだろう。とすると,生きている「密度」で
見るとどうなのだろうか。或は都会には無数の人がいるが。しかし
本当に腹を割って話が出来る人は。。一人いれば御の字ではないのか。
もちろんたった一日での判断である。その一日ですら「悪い面」も
たくさん見た。手放しで「ムラ」万歳と言うことはできないのは勿論だ。
だからといって都会の生活をやめられるわけでもない。しかし,だ。
我々は不必要にいろんなものを追い過ぎているのではないか。
或は我々は不必要に孤独になっているのではないか。そんなことを
気づかされる機会にはなった。いや,せねばならんのでは,と思った。
図らずも「孫代表」でマイクを握らされ,あせりまくったが。
私はこう言った。
「人生つらいことは多いけど,つらい時は○○ムラの青い海と
ばあちゃんの暖かい眼差しを胸に,生きてゆきます」 と。
言った後で気づいたんだが。ムラはもう,ないのであるよ。