カレンダー。

例年は部屋に赤星や今岡や金本がいた訳だが。
今年はいい加減タイガース・カレンダーはやめて(てゆうか持ってたんかい),浮気することに。
今年のテーマは(多杉)知的研鑚に励むこと,また先日の如く,自然の動きに目を配ることである。
というわけで,「二十四節気・七十二侯/歳時記カレンダー」を傍らに置くことにした。
これがなかなか「読み応え」があって,毎日の楽しみとなっている。新しい発見もあったり。
例えば赤穂浪士の討ち入りは年末の風物詩なので,太陽暦の12月中旬にあったように錯覚するが。
実際にはあれは旧暦の師走であり,太陽暦になおすと1月末のことだとか(今年は1月23日)。
うむ。どうも12月にしては雪が多すぎる,昔は今より寒かったのかなと思っていた。納得。
さらにカレンダーによると今日成人の日は「水泉動」(すいせんうごく)だそうだ。
泉の水が温かみを持つ頃,という意らしいが。昔の人の鋭敏な感覚に感動を覚えるものである。
と同時に,「すいせんうごく」と聞いて私の頭に浮かぶのは,詰まっていた水洗トイレが動いた。
ああよかった,という安堵感である。てなんでやねん。
或は「款冬華」(かんとうはなさく=21日)に「カン○ン(自粛)」と着想してしまったり。
「鶏始乳」(にわとりはじめてにゅうす=30日)を見てドキドキしてしまったり(なんで)。
そんな「知的」からは程遠い,今年も「痴的」な自分に辟易とするムであった。
てこの言い回し何回も使ったな。
初春や ゴムを通して 知る温度  夢乱
「皿洗い」をしながらひねりました。誰ですか勘違いしているのは(何を)