オリンピックの顔と顔2。

すみません、また五輪ネタですが。
なんせ四年に一度のこってすので、ご容赦。
五輪のいい点というのは、失礼ながら、普段あまり見ない競技を見る機会である。
初めはルールすらわからないのが、だんだんわかって行き、その競技の奥深さを
ほんの少しでも垣間見れるのがよい。野球とかサッカーとか、何万回と見たスポーツも
面白いのだけど。たまに見るのが新鮮で。いや、ほんと四年に一回しか観なくて申し訳ないのだが。
そんな中、最近はまったのが、卓球でありバトミントンであり、フェンシングである。
いやほんと、胸熱な闘いだった。卓球、バトミントンに関しては、自分が極度に苦手ということもあり、
(フェンシングはやったことないが、絶対得意でないという自信はある)
いささか敬遠する向きもあったのだが。また、温泉スリッパ卓球やら会社屋上バトミントンみたいのが、
頭にあったので、有閑的なスポーツだとどうしても思ってしまっていたが。いやいや、侮れない。
丁度、同僚に卓球を熱く語る人がいるので、彼の「指導」も仰ぎ、勉強させてもらっている。
反面、五輪の微妙だな、と思う点は、マスコミ報道の姿勢。いやそれは五輪に限らず思っているが。
お祭りお祭り、と大目に見てもよいのだろうけど。やはり日本人にとってスポーツはお祭りでしかなく、
文化や社会財としてとらえようというには程遠い。なんで長きにわたりストイックに頑張って来た選手が、
なんでお前がそこにいるねんというタレントに、いじられなければならないのかが、全くわからない。
特にサッカーの時は、閉口した。どの時とはいわんけど、某局は、某タレントに勝利インタビューを任せた。
戦術面とかメンタル面とか、聞いて欲しいことがいっぱいあったのに、タレント氏は自身興奮するのみで、
どうでもよい質問を繰り返す。百歩譲ってスタジオで騒ぐのはよいが、ピッチにまで入るのは我慢がならない。
ついでながら、文句ばかりで恐縮やが。言葉が軽い。「運命の第二戦」「運命の後半戦」「運命の第三セット」
「運命の八月六日」とかって、運命言い過ぎやろ。お前どんだけ運命あるねん、ちう感じがしてならない。
そして意味がよくわからない。この用法の「運命」聞いてていつも思い出すのが、前も話したかもしれんけど、
前の職場の上司の、いわゆる「人生おじさん」である。サシで飲んでる時、どろどろに酔っ払ったはって、
「いいか、Moulin、人生なんじゃよ…」「わかるか、それもまた人生よのう…」と、「人生」を乱発。
いやこれは似てるけど、違うな。彼の場合は、彼の人生から絞り出された魂の言葉とも言えようけど、
「運命のキックオフ」に、そいう魂が込められているかは疑問である。
と、ごめんなさい。つらつらぶちまけてしまいましたが、スポーツ愛、五輪愛から敢えて言ってしまったことと
ご容赦ください。
お口直しに、おまけ画像など。こらこら、動物を出して誤魔化すでない。

内村航平選手メダル記念・「ゆか」の演技。

こちらは「あん馬」?