裁判にあれこれ、、

光市母子殺害事件の判決からしばらく経った。
あれこれごちゃごちゃと考えたのだが、どうにもまとまらないままに
なっていたが。ごちゃごちゃのままキーボードに任せて書いてみる。
書いているうちに何かまとまってくるかもしれん。
まずは、一瞬にしてささやかな幸せを奪われた本村氏の怒り、哀しみ、苦痛、
それは、他者には想像もつかぬほどのものであろうし、たとえ加害者の死を
もってしても到底癒されることのないものであろう。それは重々分かっている。
以下の話は全て、その前提の上での話だ、ということにしてほしい。
不謹慎かもしれないが、今回の審理では、小説「異邦人」を思い出した。
なんかああ、あの逆を行ってるな、みたいな感じがした。
ひとつの事象に対する解釈は、どうとでもとりようがあるのか、と。
たとえそれが想像を絶するほど荒唐無稽なものであったとしても。
そのことに、ある意味愕然とした。事象は、ひとつのはずである。
しかしこういう意味でやったのなら、この罪で、こういう意味なら罪で、あの罪で
あるいは全然意味なくやったなら無罪で、ってええかげんなこと言ってますが。
どうもそのへん、釈然としないものがある。罪の定義、それを裁くことの難しさ。
痛感した気がする。今回の弁護団の姿勢の是非はおいといて、であるが。
もし、裁判員があたったら、自分はどうするんだろか。悩むと思う。
そして勉強せないかんな、と思う。あまりに無知である。
その他、死刑制度やら少年法やら永山基準やらについても考えたが、
結論が出なかったので割愛する。あー、やはり全然まとまらんわ。
話は全然変わるが、裁判のときいつも思うのだが、テレビのニュースで
レポーターが走ってきて「死刑、死刑です!!」と息も絶え絶えに絶叫するあれ。
あれはなんとかならんのか、、、一刻も早く伝えたいという気持ちからならば
それもわからんではないが、非常に冷めた目で見てしまう。
他社とのレースに興じてでもいるのか、と。裁判を愚弄している気もする。
それと、、どうせわかるんやから、一秒二秒遅れたって大してかわらんやろう。
あ、はい。こんなこと言う私は、マスコミ適性ゼロですね。
これが今回の日記の結論かな(違)
<本日の言葉>
「人をさばくな。自分がさばかれないためである。
 あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、
 あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。」
           (マタイによる福音書・第七章一〜二節)
「・・・社会にとってみれば、私の妻と娘、そして被告人の3人の命が
 奪われる結果となったわけです。これは社会にとって不利益なことです。」
           (本村氏)