美しきかな兄弟愛。

基本は元気なうちの猫sではあるが、そろそろオッサンの領域に入っており。
どうしても、いろいろ出てくるものである。いつまでも長生きしてほしいが、心配。
前にも書いたかもしれないが、ホセ(ヒゲ)は口内炎を患っている。
たかが口内炎、チョコ○BB飲んだら終わりだよ、と人間ならば考えてしまうが、
猫の口内炎は非常にやっかいなものらしく。難治性が高く、ひどいと食べられなくなり、
そうなると命にも関わってくるということだ。先生曰く、有効な治療法が見つかったら
ノーベル獣医学賞(そんなものはない)ものだそうだ。
一方アントニオ(茶トラ)は健康そのもの!とタカをくくっていた。ところが、
先日ワクチン接種で、はじめてその先生に診せに行ったところ
(前にも言ったかな?先生を変えました)
「♪ちゃとら〜ちゃとら〜、ちゃとらは心臓がしんぱい〜〜」
と歌いはじめて、頼みもしないのに聴診器で聴いてくださった。
結果、心臓の弁のひとつにかすかな分裂音があるということだ。(そこまでわかるのか)
心雑音、とか、不整脈、とかいうところまで行っていないので、今日明日ではないけど、
心臓病の「予兆」はあるので、気を付けていてください、ということになってしまった。
最近アントニオは太り気味なので、本気のダイエットを始めてもらわねばならぬ。
ところで、本当に悩んでいるのが、ホセへの投薬である。今の先生は少しSっぽいのか、
この薬は錠剤が一番効果的だし、錠剤が飲ませられないと他の病気の時に困るから、
練習と思って頑張ってください、と錠剤しか出してくれない。ほら、こうやってこう!と
「実演」してみせてくださる。それはそれは神業で、ホセは抵抗する間もなくごっくん。
ところが神ならぬ我々にとっては、ほんとうに苦行でしかない。それはホセにとっても、かも。
ただでさえ気性の荒いホセは、噛む引掻く騒ぐ逃げると大抵抗。二日に一度の大格闘である。
それでも、治癒のため、ホセのため、と心を鬼にして頑張っているのではあるが。先日。
いつものようにホセと格闘してて、その日はいつも以上に抵抗がひどく、戦いが長引いていた。
その時突如アントニオが、がるるっとうなりだして近づいてき、私の脚をガブリと噛んできた。
「ほせをいじめるな!」と言っているようで。その兄弟愛らしきものに感動したのが半分。
しかし、ほんとに兄さんのことを思うなら、投薬手伝ってくれよ、説得してくれよ、と
げんなりしたのが半分である。
ともかくこの名コンビ。愛をもって支えあいつつ、この難局を乗り切って欲しい。

引きこもって抵抗中。

兄さんは僕が守る!

フルマラソンデビュー&今季スケジュール決定。

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   ◇◇ 第4回大阪マラソン 抽選結果(落選)のお知らせ ◇◇

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○○ ○○○ 様
受付番号: ####-#######

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このたびは第4回大阪マラソンにご応募いただき、誠にありがとうございました。
平成26年4月3日から5月8日までの募集期間に定員を大幅に上回るお申込みがありましたので、
厳正なる抽選を行いましたところ、誠に残念ながら今回はご意向に沿えない結果となりました。

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                                                                                                                                          • -

    ■ 第4回神戸マラソン 抽選結果(落選)のお知らせ ■

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○○ ○○○ 様

このたびは「第4回神戸マラソン」にお申し込みいただき、誠にありがとう
ございました。
2014年4月22日から5月20日までお申し込み受付を行ったところ、定員を超える
お申し込みがあり、厳正なる抽選の結果、誠に残念ながら、貴方様におかれま
しては、ご意向に沿えない結果となりましたことをお知らせいたします。

*****
今季の大都市マラソン。抽選は全敗だった。予想はしてたが、厳しいのお…
しかしこの当落メール。表題に(落選)とあるので、開くまでもなく結果がわかる。
手間が省けるとはいえ、なんかこう、ドキドキする間も与えてくれないのが微妙。
自分は仕事柄、東京と京都は時期的に出走できないので、これが限界であった。
先着順(=クリック合戦)の奈良は、神戸の結果を見ないと申し込めず。断念。
(さすがに1か月以内に二回のフルは無理。川内優輝じゃあるまいし)
ただまあ、待てば海路の日和あり。あなたに起こることは全て正しい。
幸運にも、福知山マラソンにエントリーすることができた。フルデビュー決定である。
これもまさに綱渡り。福知山は神戸と同日開催。これも神戸の結果を待たずして
受付が始まった(先着順)。「○○人を突破」「間もなく閉め切ります」の知らせに
怯えつつも、やはり神戸の結果がわからなければどうしようもない。
「福知山を先に一応おさえておけば」という話もあるが、もし神戸が当たったら、
お金が勿体ない以上に、福知山を走りたい人の枠をひとつ無駄にすることになるし。
実際は、神戸の落選の報を受けるや、数秒のうちに福知山にエントリーという運びに。
いやいや。負け惜しみでなく。外れてよかった大阪神戸。福知山が走れて逆に嬉しい。
http://fukuchiyama-marathon.com/
明智光秀ファンとしては、そのお膝元ということもあるし。静かな街並みも魅力的だ。
また、ゲストランナーが豪華だ。それこそあの市民ランナーの星・川内優輝とそして、
エリック・ワイナイナアトランタ銅・シドニー銀)とともに走れる幸せ。
いやたぶん「ともに走る」と言えるような状態ではないが、折り返しですれ違えるかも。
加えて、全然知らなかったのであるが。福知山市から石巻へ人を派遣している関係上、
この福知山マラソンは、石巻復興支援も兼ねており、当日石巻物産展も行われるとか。
なんとも人の縁の不思議さ。いやもう、神さんがこう、取り計らっておられんだろう。
こうとあらば、一歩一歩、石巻の復興を念じつつ、ゴールを目指すこととする。
「あきらめない力」を石巻とともに体現したい。
しかも「物産展」に立ち寄れる時間的余裕ができるほどのタイムでゴールせねば。
(帰りのバスがあるからね)
ようやく中心のフルが決まったので、今季の全体スケジュールも組んでみた。

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8.12 はじめての箱根トレイルラン/初級(約14km)
10.5 余呉湖健康マラソン(14km)
11.2 あいの土山マラソン(21.0975km)
11.23 福知山マラソン(42.195km)
12.23 T塚ハーフマラソン(21.0975km)

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一見、多忙を極めるが、この下半期はヨメがおらんので、こうでもせんと自堕落に
なるばかりなので、敢えて詰め込んでいるという意図もある。
勉強や仕事と同じで、スケジュールを組んだだけで、もうやった気になってしまうが。
まずは八月の箱根合宿(という名の旅行)に向けて、絞り込んで行かねば。
絞るというのは、体もそうだが、財布の紐も、である。

2014ブラジルW杯。

サッカー・ブラジルW杯も、早いものでもう決勝を迎えた。
ここであまり取り上げていなかったので、興味がなかったのか?と
思われそうであるが、とんでもない。観まくっていましたよ。
ただ、寄る年波には勝てず。「午前1時の部」と「午前5時の部」の
「二本立て」は基本無理で。どちらかを諦めねばならなかった。
ブラジル―チリ1時、コロンビア―ウルグアイ5時の日は迷ったが、
後者を生観戦し、前者は録画→情報完全の後缶詰状態で観戦、
と目論んでいた。一番の難関は、後者の試合中に結果を言われてしまう、
ということであったが、それはなんとか事なきを得、安心して仮眠。
ところが、起きて「さあ録画を観よう」とテレビをつけた瞬間、
ブラジルのユニフォームを着たデーブ・スペクターが大写しとなった。
それにより、なんとなく結末がわかってしまい、観戦に支障をきたした。
デーブのしたり顔が、なんとも憎々しかった。案じるより横山やすし
それ以前に、録画リストを開いた時点で、延長になることがわかってしまう。
それも微妙で。(NHK中継の場合、延長はEテレなので、その枠も予約。
延長に入っていたらそっちの方も「ワールドカップ」と表示されてしまう)
あと、録画観戦では「早送りの誘惑」が最大の敵となる。単調で退屈な時間も
サッカーの魅力のひとつであろうが、早送りができてしまうと、耐えらえない。
コスタリカギリシア戦は基本4倍速で観たので、チャカチャカしてる時間が、
延々と続き、たまに大騒ぎするという以外は、なんかよくわからなかった。
よしやはり生観戦だ!と、8強の4試合はダブルヘッダー観戦×2を決意。
ところが、1日目ドイツ―フランス、ブラジル―コロンビアにおいては、
前者の試合中ウツラウツラしてしまい、肝心なところを観のがす始末。
翌日のアルゼンチン―ベルギー、オランダ―コスタリカに関しては、
起きたら朝七時であった。あかんね、もう若くないね。延長からは観たけど。
いろいろ観た中で、自分の中でのベストゲームは、決勝トーナメント1回戦、
ドイツ―アルジェリアである。まさに死闘、であった。延長に入って、
足がつる選手が続出。ピッチに倒れ込んだ選手がいる中、試合が続行される。
千載一遇のチャンスに、アルジェリアFWが鬼の形相で抜け出そうとするが、
あえなく機を逸す。FWはもう立つことすらできず、顔をしかめて蹲る。
非情にも点を重ねるドイツ(非情に、というのがまさに似合うチームだが)。
2点目が入った時はアルジェリア選手はさすがにがっくり肩を落としていたが、
それも一瞬。最後の最後に意地の反撃で一矢を報いる! 朝から涙してしまった。
コスタリカギリシア、ナイジェリア、スイス、ベルギー、敗れたけれど好チーム。
そしてコロンビア。身贔屓ではあるが、とてつもない将来性を感じさせた。
勝ち上がったチームに共通しているのは、しっかりとした守りに支えられた安定感と。
何が何でも勝ってやる!という気概であったろう。ブラジルは、その守りの支柱と、
気概の支柱を失った時、既に崩壊してしまったんではないか。
翻って我が国、日本であるが。後講釈をいくらしてもきりがないけど、少しだけ。
「自分のサッカーをやれば勝てる」と戦前は誇り、「自分のサッカーができなかった」
と敗戦後は泣く。「自分のサッカー」とは何か。イタリアであれば、カテナチオ
スペインであれば、華麗なパス交換。ドイツであれば、ゲルマン魂。即座に浮かぶが。
日本の自分のサッカーとは?ぴんと来ない。そもそもそんなものはなかったのでは。
ないものに縋る姿は、「STAP細胞はあります!」という叫びと変わらない気がする。
また、長期のリーグ戦ならまだしも、W杯は短期決戦である。残念であるが、
各国とも「自分のサッカーをやる」というよりいかに「相手にサッカーをさせない」かで
動いているし、それによって結果を出しているチームが多そうである。特に今回は。
強いて言えば、日本はそちらの方が得意なような気がする。情報分析力、スカウティング力、
それを強みにせねばならんのではないか。その意味では、日本人監督の方が、実はよいかも。
あと、「金儲け、そんなに悪い事ですかねえ」と言った人はいるけど、同じ口調で、
「守りのサッカー、そんなに悪い事ですかねえ」と言いたい。弱者が強者を倒すのは、
それしかない。日本は今回、コロンビアとの差にショックを受けたという向きが強いけど、
むしろギリシアとの差を意識すべきでないか。サッカーでは勝っていたが、勝負に負けた。
彼らは成功し、我らは失敗した。それは何故か。コロンビアを目指すよりはよほど近い。
しかしまあ、「キープ」を知らず出場を逃した米国大会、出るだけに終わった仏国大会から
考えたら、格段に進歩はしてきているんだろうけど。その後は…
→やはり体力で劣る日本は、組織と守備重視で闘わねば→日韓大会・ベスト16
→守備重視では限界がある、やはり攻撃と個性が大事だ→独大会・グループリーグ敗退
→やはり体力で劣る日本は、組織と守備重視で闘わねば→南ア大会・ベスト16
→守備重視では限界がある、やはり攻撃と個性が大事だ→ブラジル大会・グループリーグ敗退
→やはり体力で…(←今ここ!)
この永遠のサイクルだ。あ、この組織と個の間の揺らぎこそ「自分のサッカー」ですか(毒)。
順番通りいけば、次はベスト16の番なのだろうが、それ以上を目指すには、やはりこの
悪循環を壊す何かが必要なんかもね。気合い、もその一つだろうが(笑)。
今はその気合いもあらへんからね。
しかしまあ、この日本代表を、成田で出迎えて拍手を送るかね。ま、皮肉とすれば面白いけど。
素で声援を送っているとすれば、なんなんかな、と思う。ただこき下ろすだけなのも微妙だけど、
やっぱ、糺すべきとこは糺さないと、進歩がない。
言葉が過ぎたかもしれないが、日本代表がいつか優勝する日を夢見る者として、敢えて。
失礼、後講釈、少しですまなかった。
ま、日本は日本として。明日の決勝は楽しみたい。
マラドーナからサッカーに入った者としては、ドイツ―アルゼンチンてやっぱ、黄金カードだから。
わくわくすることこの上ない。明日は最後の時差起床である。果たして起きられるのか。
自分にとっても最後の戦いだ。

「あきらめない街、石巻。その力に俺たちはなる」5。

翌日、6月11日。あの日から丁度3年と3か月。
地元警察は毎月11日にはいまだ行方不明者の捜索を行うらしい。
いまだ、である。昨日のバーテンさんから聞いた話だ。
この朝の自分は情けなくもひどい宿酔で(あれだけ飲んだら当たり前)。
石巻から仙台への直通バスに揺られながら、座席で丸まって耐え忍んでいた。
道中は結構山間部であり、霧がかかっていた。幻想的だなあ、と感心しつつ
眺めていたが、この霧にあとで悩むこととなるとは、つゆ知らず。
仙台駅から、重い体を引きずるように仙台空港へ。昼ごろには到着した。
もう少しゆっくりしたかったのだが、夜から仕事であったので、やむなし。
空港では、とても受け付ける体調ではなかったのだが、でもせっかくだからと
牛タンを食す。迎え酒ならぬ迎え肉である。でも体調関係なく、うまかった。
機嫌も取り直してきたところで、またアナウンス。空港のアナウンスって、
BGMの一部と言うか、普段は全く意識せず聞き流してしまっているものだが。
何度か耳を通るうち、「大阪・伊丹空港へご出発のお客様…」というフレーズが
ひっかかる。ふんふん。それがどうしたの。いやそれって俺ちゃうんか!
なんと。空港到着時は全然そんなことなかったのだが、牛タンを食べているうちに
みるみる霧がたれこめてきて。滑走路が見えないほどとなっていた。
遅れるか、飛ばないかもしれないから、覚悟しといてね、ということであるらしい。
繰り返すが、自分は帰阪後仕事をせねばならなかったので、背筋を冷たいものが伝った。
やばい。どうしよう。今更代講はたてられへんし、休講かなあ。でも休講連絡を
してもらわないかんし、まずいなあ。ひたすら、焦りまくった。でもどうしようもない。
うろうろと空港内をめぐることぐらいしかできなかった。
幸いにして、しばらくしてから霧は晴れ、事なきを得た。帰阪し、無事仕事もこなした。
いろいろ考えさせられ、教えられた今旅行であったが、最後にも教訓を得た。
普通のことを普通にやり、時が普通に過ぎてゆく。それがどれほど有難いことであるか。
何の変化もない、ともすると面白くない日常。それがどれほど幸せなものであるか。だ。
震災は、それを根こそぎ奪ってしまった。
少なくとも普通のことができ、普通の日常を送ってもらえるようにする。それが震災支援の
最大の目標であるのだろう。そのためには、産業振興や建設、開発も結構なのだけど。
あの酒場のように、人と人が楽しく語り合える機会や場がより大事なのではないか。
同様に、外部としての自分らは、経済的な支援や行動支援ももちろん大事なのだけれど。
何より、そこの人と触れ合い、耳を傾けること。知ること。感じること。が欠かせないと思う。
そして、人を心の中に思い続けること、である。と、今更気づいて非常に申し訳ないのだが。
気付かないままよりまし、とご容赦頂きたい。
確かに問題は山積している。復興への道は果てしなく遠いように思える。
しかし石巻は、あきらめていない。我々も同様にあきらめてはならない。
その思いが、力となってゆくと信じたい。そしてまた訪れたい。
(完。と、ひとまず今回は終わりますが。また必ず続編を)

「あきらめない街、石巻。その力に俺たちはなる」4。

いよいよ、楽しみにしていた石巻の食事である。
まずは1軒目。麺党としての義務。「石巻やきそば」を食す。
平日の、まだ明るいうちから、焼きそばにビールの至福。
後ろめたさがまた、絶妙のスパイスである。茶色の不思議な麺は、
「風月」の焼きそばを思い出すが、もう少し細くちぢれた感じか。
トッピングの目玉焼きが秀逸。「たまごのっけ」は永遠の憧れだ。
2軒目は、知る人ぞ知る雲丹丼、海鮮丼の名店へ。しばし歩いて移動。
旧店舗は津波に押し流されてしまったらしいが、別の場所に移り復活。
頑張ってらっしゃるらしい。
ただ、自分は雲丹にあまり思い入れがないのと、焼きそばでもう既に、
炭水化物をいいだけ摂ったので。ここでは刺身と焼き物をつつきながら、
地酒を頂くこととする。やはりうまい。語彙が足りなくて恐縮だが、
ほんとにうまい、その一言である。ひとりぼーっと余韻に浸る。
ほろ酔い加減でてくてく市街地に戻り、3軒目は小粋なバーに。
せっかくだから、とホヤを注文すると、マスターがいいのが入ってるよ!と、
獲ったそのままのをさばいてくれる。ナマコとかもそうだけど、原型は
グロテスクそのもので… 一番最初にこれ食べた人は偉いよね、と感心する。
味は、これぞホヤ。自分が今まで食べていたのは何だったか…と思うほどだった。
ここではご常連さんやマスター、バーテンさんと楽しく会話をする。
前にも書いたが、「どこから来ましたか」という問いに対して答えるのには、
常に迷う。「大阪から」では微妙に嘘であるし、「兵庫から」とは兵庫県人は
普通言わない。神奈川県の人が「神奈川から」と言わないのと同様である。
そして「T塚から」と言うと、絶対Tカラヅカの話になってしまう。今回も同様。
「おーTカラヅカ、ランラララー」ご常連さんしばし熱唱。黙って聞く。
そして「どうしてまた石巻へ?」との当然の問い。少し迷ったがここは正直に、
石巻工業の甲子園での活躍に感動して…」と返答。するとバーテンさんが、
「へえ、実はうちのオヤジが石巻工の出で、自分も付き添ってあの試合に行きました」
と。ううむ。これも縁だねえ。なんか感慨深い。しばしあの試合について盛り上がる。
ただその後、考えさせられる会話も出た。「どうですか、関西での震災報道は…」
この問いに対しては、「いや、残念ながら、ほとんど皆無と言っていいですね…」と
答えざるを得ない。「そうでしょうね。逆に自分らも神戸の時とかそうでしたし…」
む。確かにその点に関しては類似しているかもしれないし、両方ともとてつもない
悲劇なのもそうだけど。阪神と東日本は、やはり同列にできない点もある。
被害の規模と範囲が全然違う。また、復興のスピードも段違いである。
阪神の場合は範囲も絞れるのと、「とりあえず元の姿に戻す」と目指すものが明確で。
また、都市自身の体力も、言いたかないけど、国はじめ周りの「復興させよう」という
気持ちも(それは善意と言うより利害の面から)より強かったのであろうが。
翻って、東日本。範囲はあまりに広く。どこに力点を置けばいいのかという問題があり。
もともと過疎化という問題を抱えていたところであるので、復興後の姿をどう描くのか、
それもなかなか見えないのではないか。そもそも国に復興させる気がどれほどあるのか。
という考えが一瞬頭をよぎったが、それを言葉にし、その場で発することはできず。
阪神大震災の方を軽んじたり、東日本の復興に携わっている人々に目を向けて
いなかったりというわけでは決してありませんので、それはご承知ください)
千鳥足で、4軒目はスナックへ。いやあ、泊まった宿にスナックが併設されていたので、
仕方がないじゃありませんか。行かねばならんでしょう、と誰に言い訳をしているのだ。
読者の皆さんは、これだけ梯子して大丈夫なのか?とお思いでしょう。大丈夫じゃないよ。
ここでも地元の皆さんと楽しく盛り上がったが、記憶がまだらで…
ごめんなさいごめんなさい。きゃあ、かあちゃん堪忍。(誰がかあちゃん
ただ、みなさん明るく、楽しい人々であったことははっきり覚えている。
一人不思議なオジサンがいて。カラオケで自分がちょっと歌っておいて、ぐだぐだになり、
はいっと、全部こっちにマイクを渡してきた。何度も。おかげで自分が何度も熱唱してしまった。
*****
「なんでもないようなことが
 幸せだったと思う…」
*****
その時は楽しく歌って(絶叫して)いたが。
これをあそこで歌っていた、ということに今更ながら凛とした気分になる。
オジサンは自分にこれを歌って欲しかったのか、あるいはご自分では歌えなかったのか。
(続きます。次回、最終回)

「あきらめない街、石巻。その力に俺たちはなる」3。

めちゃくちゃに自転車を漕いでいるうち、空き地の中心部に来た。
路肩はぼこぼこでところどころ水がたまっていたりで、注意が必要で。
徐行を余儀なくされ、落ち着くことを余儀なくされた。
と、これもまったく偶然なのだが、気づくと祭壇の前に出た。
荒野のど真ん中に、大きな看板があり「がんばろう!石巻」と大書してある。
その前には花が無数に捧げられている。思えばここに呼ばれていたのだろうか。
跪き手を合わせ、ひたすらに祈った。こうするだけでも、来た意味はあったか。
看板と祭壇の前の路面には、これまた大きな字で「復興するぞ」と白ペンキで
書かれている。その強い思いには心を打たれる一方で、複雑な感情も湧き上がった。
この莫大な荒野にぽつねんと佇むこの場所。彼らが、いや我々日本人全体が、
相手にしているもののとてつもないでかさと、それに対する人間の儚さを思った。
我々日本人全体が、といいつつも同時に、日本における彼らの立場の象徴にも
思えてしまった。ただこれを吹きすさぶ嵐の中のかよわき一輪の花と見るか、
暗黒の闇に光るひとすじの光と見るかは、見方次第なのだろう。後者であってほしい。
しかし具体的にどうすればいいのか。答えには窮する。
繰り返しになるが、これでも格段に進歩はしているのかもしれない。そこを自分は
見ていないので、その辺は割り引いて考えねばならないが。
その後は、今度は不思議に引かれてではなく、確信的に、かの石巻工業高校へ。
あの子たちが、ここで育まれたのか、と感動しつつ敷地の周囲を巡る。
ネットは目隠しがしてあって、中を伺うことはできなかったが、球音が響いていた。
ただ、冷静に考えると平日の昼間に学校の周囲を自転車でぐるぐる回っているオッサン。
怪しいことこの上ない。
自転車返却にはまだ時間があったので、もう少し市内を巡るとまたまた偶然なのだが、
とあるホールで、岩崎健一氏と岩崎航氏というご兄弟の合同個展をやっていた。
健一氏は画家、航氏は詩人でいらっしゃる。お二人とも、筋ジストロフィーという
病と闘いながら、創作活動を続けておられるとか。あとで知ったが、航さんは
ほぼ日刊イトイ新聞」でも取り上げられていた(http://www.1101.com/iwasaki_wataru/)。
健一氏の力漲るような強い絵、航氏の生命が迸るような言葉に、茫然となった。
生きることの根本、それをサポートし、されること、感謝、ひたすら感じ入った。
先ほど来の「悩み」に対する手がかりがつかめそうな気もしてきた。
両氏のお父様がその場にいらっしゃって、是非に一枚どうぞ、とすすめられたので、
健一氏の手による向日葵の絵葉書を頂いた。ヨメも自分も大好きな花。生命の象徴である。
それは今リビングに飾られている。
それではいよいよ、石巻の夜である。グルメである。
再び街に繰り出した。
(また、続きます。)

「あきらめない街、石巻。その力に俺たちはなる」2。

6月10日。
飛び起き朝食を摂る間もなく出発、早朝の伊丹空港に到着。
空港のスタバにて朝食。合計金額は偶然にも777円。フィーバー。幸先良し。
と、仙台行きのお客様へ。到着地が濃霧のため、福島で途中着陸の可能性あり。
その条件付き離陸とさせて頂きますとアナウンス。むむう。旅の最初にして波乱含み。
まあそうなったところで、福島も回れるし電車乗れるし(オタク)いいか、と気を取り直す。
周りではビジネスマン達が「もし福島に着いたら、新幹線乗って…どれくらいですか?」
と不安気に相談している。こちらはプライベートだからいいが、仕事の人は大変そうだ。
短い空の旅。果たして着けるのか。不安の中、機は雲を切り裂くように進み、
なんとか薄靄のかかる仙台に到着。まずは一安心。
あの日、水没し孤立した空港である。今あの日を伺わせるものは、見たところないようだ。
空港から、空港アクセス鉄道にて仙台に出、そこから仙石線に乗り換えて石巻を目指す。
仙石線は、一部区間がいまだに不通となっており、バスによる代替輸送を余儀なくされている。
恥ずかしい話、今回の旅行を決めて、旅程を立てる時まで、自分はその事実を知らなかった。
風化させてはいけないと思いつつ、実は自分の中にある風化。まざまざと見せつけられた形。
乗継駅の松島海岸駅で鉄道を降り、代替バスに乗り込む。この辺りでは、あの日の爪痕が、
おそらくはそれでもだいぶ改善はしたのだろうが、まだまだ残っているように感じた。
割れて波打つ道路が、水たまりか潮だまりかに浸かり、そのまま放置されている。
遠くに見える海岸べりは、果てしのない空き地であり。その中に黒い塊が林立している。
目を凝らすと、それはお墓であった。黒いお墓というのは、関西人である自分は見慣れない。
見ないかん、しっかりみないかんと思いつつ、どうしても俯き加減になってしまう。
代替区間は終了し、再び鉄道の駅へ。地元の女子高生だろうか。明るく話に花を咲かせている。
この地方の方言だろうか、心地よいリズムの言葉だ。話題は最近のファッションであったり、
アイドルであったりで。流行語と方言とのミックスが非常に素敵であった。立ち聞き失礼。
何度もこの旅行では痛感するが、この明るさが、実によい。
そしてようやく目的地・石巻に到着。石ノ森章太郎のキャラクターが出迎える。
ここからは、レンタサイクルで、名所を巡ることとする。汗ばむような陽気となってきた。
まずは腹ごしらえ。市場のようなところで、刺身をはじめ海産物を買うと同時に、少額を払えば
ごはんと味噌汁(カニ入り!)をつけてくれる。店内にテーブルがあり、そこで頂けた。美味!
その後、海岸べりの高台である、日和山に上がる。震災の映像で何度となく放送された場所だ。
それが今は、信じられないほど穏やかな時間が流れていた。しかしやはり、海岸、それは
途方もなく広い空き地であった。いやおそらく震災後は途方もなく沢山の瓦礫であったのだろう。
空き地にショックを受けるというのも違うのかもしれない。しかしやはりショックであった。
近くでは、地元の老紳士と思われる人が、自分とは別の訪問者に話をしている。それが聞こえた。
ここはこうだった、あそこはああだった、一連の説明の最後に、老紳士は吐き捨てた。
「どんなに高い堤防作っても、どんなに強くしても、勝てねえっぺ。自然には勝てねえっぺ」
人間の存在の無力さ。そしてなぜその無力さをもって生まれてきたのかという意味。そんなことを
つらつら考えながら、ペダルを進めた。次の目的地は、自分でもなんでや、と思うが、
石ノ森章太郎記念館であった。サイボーグ009のファンであった自分にとって、それなりによかった。
ムーランルージュ、もとい、サイボーグ戦士誰がために戦う。
館を後にした次、ふらふらと引かれるように、海岸沿いの道へ。
空虚。莫大な空虚。しかしかつては様々な営みがそこにはあった。なんでだろう。どうしてだろう。
泣いたってしょうがない。自分に泣く資格なんてない。自分は何もわかっていない。何もしていない。
けど、涙が出て、しょうがなかった。
どこまでも続く一本道を、オッサンひとり、涙を流しながら、めちゃくちゃに自転車で走り続けた。
(続きます。)